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2022年12月6日火曜日

McCarthy


McCarthyは日本でも知られたインディーバンドである。1987年から1990年にかけて3枚のアルバムを残し、C86にも参加していたバンドなのである。いくつもの名曲を持つ彼らであるが、それに反してあんまり情報がない。なんとなく左翼だ、とか政治的な発言をする連中だ、という情報はあるものの詳細はわからない。僕はここんところマッカーシーな気分だったので、Tommy Gunnarsson氏(※スウェーデン在住の熱烈なマッカーシーファン。一時期The Gentle Smilesというバンドを率いていた。このバンドのCDRをどこかで見かけたら死んでもゲットしろ!と強く言いたい。)が2002年にマッカーシーの元シンガーのマルコム・エデン氏に行ったインタビューを勝手に和訳してみた。パート1とパート2に分かれているので今回はパート1を。ちなみに翻訳が違うよ、と思った方はセルフサービスで脳内で各々訂正して読んでください。ではスタート。

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マッカーシーはマルコム・エデン(ヴォーカル、ギター)、ティム・ゲイン(ギター)、ジョン・ウィリアムソン(ベース)によって結成され、ロンドン郊外のバーキングの学校に通っていた14歳のときに結成された(ちなみにプロテストシンガーのビリー・ブラッグと同じ学校に通っていた)。

マルコムには兄がいて、その兄に手ほどきを受けていたので、彼は少しギターを弾くことができた。だから彼はティムにはギターを、ジョンにはベースを教えていた。ドラマーがなかなか見つからなかったが、1984年にゲイリー・ベイカーが加入した。

14歳頃の少年というものは強い政治的見解を持たないことが多いが、マッカーシーの少年たちもそうだった(ちなみに、最初はマッカーシーという名前ではなく別の名前で呼ばれていたが、マルコムはその名前を覚えていない。

マッカーシーという名前は、1950年代にアメリカで共産主義者に対する魔女狩りを始めたアメリカの政治家、ジョー・マッカーシーから取った冗談のつもりだった。彼らはパンク、特にセックス・ピストルズに影響を受けていたが、バズコックスの曲も演奏しやすかったので演奏していた。

しかし、1979年、マルコムが16歳のとき、マーガレット・サッチャーが初めてイギリスの首相になった。この出来事は、彼の世界観を永遠に変えることになる。

マルコムがマルクス主義に興味を持ったきっかけは、彼女の政治に対するスタンスで、それは、彼女は非常に力強い主張の仕方をしていたので野党は誰も彼女に答えることができなかった。だから彼女は選挙で勝ち続けることができた、というものだった。保守党に対抗するには問題の根源に迫らなければ対抗する事はできない、ということをマルコムは彼女から学んだ。

1986年、バンドは貯めたお金で、自分たちのレーベルWall Of Salmonからシングルをレコーディングする。そのシングルは「In Purgatory」というタイトルで456枚という限定枚数だった。そのシングルは現在、売りに出されると50〜60ポンドする。


その後、ピンクレーベルにレコードを送り、彼らはバンドと契約し、マッカーシーはライブをするようになった。1986年にNew Musical ExpressとRough Tradeからリリースされた"C86"と名付けられたコンピカセットは、マッカーシーにとってだけでなくギターベースのインディーポップ全般にとって重要であることを証明した。 The PastelsやThe Shop Assistantsといったバンドは、このカセットにちなんで名付けられた"C86"というジャンルと永遠に関わりを持つことになった。マッカーシーもこのカセットに"Celestial City"という曲で参加している。マルコムはこのコンピカセットについて、

「僕たちはC86カセットに参加できてとてもラッキーだった。最初に注目されたのはそれだった。音楽的にはそれらのバンドとかなり似ていたよ。でも、僕らの一般的なアティテュードは少し違っていたと思う。」と語っている。

彼らの曲作りは通常、ティムがコードを書いて4トラックで録音し、マルコムがベースとメロディを加える。ドラムはゲイリーが叩いていたが、ティムとマルコムが彼に提案することもあり、歌詞はマルコムが最後につけた。"Frans Hals"などいくつかの曲はマルコムが自分で書いた。

マルコムは今でも当時書いた歌詞に満足しているが、もう少しエレガントに書けたかもしれないと考えている。

「でも、今でもその多くはとても適切で面白いものだと思う。もちろん今同じことを同じように言うことはないけれどね。でも、それは僕が変わったからではなく世の中が変わったかからだよ。他のメンバーはいつもとても協力的だった。彼らは僕の歌詞の一般的な傾向に賛成してくれていたんだと思う。ゲイリーとは政治について何度か大喧嘩をしたこともあったけど、だいたいみんなとは波長が合っていたんだ。」

C86コンピレーションの後、ピンクレーベルからは「真」の1stシングルである"Red Sleeping Beauty"をリリースしたが、これはサッチャー政権を詩的に風刺したものだった。この曲でマルコムは、「私は20年間眠り続けている、もし私が百年眠り続けていても
彼女は私を起こさないだろう」と歌っている。

マッカーシーはピンクレーベルに長くは在籍しなかった。彼らの2枚目のシングルである前述の"Frans Hals"がこのレーベルでの最後の作品となり、次に向かったのは新しいレーベル、セプテンバー・レコードで、1987年10月にシングルとしてリリースした名作'"The Well Of Loneliness"はイギリスのインディーチャートのトップ10入りした(実際には"Frans Hals"は4位であった)。同月には待望のデビューアルバム"I Am A Wallet"もリリースされ、このアルバムには政治的なマニフェストとしても個別に読むことのできる短く速い曲が収録されている。"The Procession Of Popular Capitalism(大衆資本主義の行列)","The Wicked Palace Revolution(邪悪な宮殿革命)","The International Narcotics Traffic(国際麻薬取引)"といったタイトルはそれを物語っている。アルバムのジャケットにはドイツの風刺画家のジョージ・グロスの作品を使い、これはバンドのアティチュードを端的に示唆していると思わわれる。


しかし、このレコードはあまり売れず"I Am A Wallet"発表当時のスウェーデンのファンジン"Sound Affects"のインタビューでマルコムはバンドが無視されたと語っているが、これは現在でも同意できないことである。

「そんなことを言った覚えはないし、今日もそう思うかどうか分からない。僕たちは小さなグループに過ぎなかったが、かなり多くの注目を集めた。最初はレコードを作ってコンサートをすることだけが目標だった。それ以外はすべてオマケだったんだ。」

アルバムのセールス不振という挫折を味わいながらもバンドは生産的な活動を続け、1988年2月には早くも新曲"This Nelson Rockefeller"をリードトラックとする12インチシングルが店頭に並んだ。B面には3曲の旧作("The Funeral", "The Way Of The World", "The Fall")の再レコーディングと、もう1曲の新曲 "The Enemy Is At Home (For The Fat Lady)"が収録されていた。しかし、なぜ"I Am A Wallet"のリリースからわずか数ヵ月後に2曲も録音したのだろうか?

「オリジナルが嫌いだから録り直したわけではないんだ。マネージャーの提案でやったんだと思う。マネージャーは2枚のシングルを次々に、とても早く出したかったんだ("This Nelson Rockefeller"と"Should The Bible Be Banned ?" でもB面用の曲が足りなかったので古い曲をいくつか作り直した。ドラムマシンやキーボードの実験も兼ねてね。それまでインディーズ系の人たちは僕らのことを気に入ってくれていたんだけど、この、曲の再録音という行為を「究極の裏切り」だと思ったんだ。特にサラ・レコードのレーベルをやっていた人たちはね。」

それからわずか2ヶ月後、もう1枚の12インチ・シングルがリリースされた。"Should The Bible Be Banned ?" のタイトル曲は、聖書が殺人を奨励しているかどうかを問うものだ。マルコムは歌詞の中で、弟を斧で殺したデイヴという人物のことを歌い、旧約聖書の創世記のカインとアベルの物語の中に彼の罪の裏付けを見出す。そして最後に「聖書は禁止されるべきなのか、平和を守るために」と歌っている。(訳者注:インターネッツでカインとアベルの物語を読んでみよう。するとデイヴという人物とカイン&アベルの兄弟の対比とマルコムの主張がなんとなく理解できる、ような、気が、する、…かも?)

その後、マッカーシーのニュースが流れてくるまでほぼ1年の時間を要した。レーベルをMidnight Musicに移してからリリースされたニューシングル"Keep An Open Mind Or Else"である。このシングルは1989年3月にリリースされたアルバム"The Enraged Will Inherit The Earth"からのテスターだった。今作ではバンドは新しいプロデューサーのイアン・ケープルを迎え、デビュー作よりも洗練されたアルバムになった。それにも関わらず今作はファーストアルバムほどの輝きは感じられない。"I Am A Wallet"には、ある種のプロデュースされていない感じがあり、マッカーシーの音楽にとても合っていたのだが、よりプロデューサーらしいプロデューサーを得た今、何かが足りなかった。しかし、それが悪いというわけでは全くない。"Governing Takes Brains","Throw Him Out He's Breaking My Heart","Boy Meets Girl So What"などの傑作がこのアルバムには収録されている。マルコムはセカンドアルバムに対する私の思いに同意している。

「セカンドアルバムのいくつかの曲は出来が悪かった。僕は最初と最後のアルバムの方が好きなんだ。"We Are All Bourgeois Now"(Manic Street Preachersがカバーした曲)にはとても満足したし、前作のいくつかの曲はかなり良くできていたと思うんだ。"I Worked My Self Up From Nothing"が好きだな。でも、ほとんどの曲はもっとうまくレコーディングできたはずなんだ。率直に言って僕もあまり良いシンガーではなかったと思う。」


マルコムが最後に言っていることには、本当に同意できないと声を大にして言いたい。個人的には、マルコムの声はとても心地良く、当時のUKのインディ・ポップ・シンガーたちのような大げさな感じは全くない。つまり、決してイライラさせることのない声なのだ。

セカンドアルバムのリリースからわずか1ヶ月ほどで新しいシングルが店頭に並んだ。今回は"McCarthy At War"というタイトルのEPである。このEPには"Boy Meets Girl So What"のリミックスヴァージョンと3曲の新曲が収録されているが、中でも"All Your Questions Answered"がベストだろう。絶妙なギターサウンドとマルコムの「誰が我々の産業を破壊した?/誰がそんなことを言う?/ドイツ人はドイツ製品で市場を席巻した!」 という歌詞が冴え渡る。また、"he Lion Will Lie Down With The Lamb"では、彼はすべてのグローバル企業(IBMやゼネラルモーターズを挙げている)に、南アフリカから移転してそこの人々が自由になれるようにと要請している。(Part 2に続く)

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